【鬱注意】生存率1%以下の人生:僕の『製造者』=両親のこと

にじのわコーヒー&ビアスタンド 平田泰之

にじのわコーヒー&ビアスタンド 平田泰之

2026.02.18
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平田泰之さんの連載コラム第3弾です。「生存率1%以下の人生」を歩んできた平田さんの経験を語ります。逃げ場のない絶望の中で、平田さんが見出した「真人間」への渇望と、生き残るための葛藤とは。平穏な日常の裏側に潜む「見えない暴力」は、決して他人事ではありません。

ここから先のいくつかのコラムでは、当時の状況を正確にお伝えするために、非常に強烈な表現を用いざるを得ない場面が出てきます。もし気分を害された方がいらっしゃいましたら、深くお詫び申し上げます。

あえて強い言葉を使うのは、僕が生まれた、もとい「製造された」実家、および僕の「製造者」である両親について書きたいと思うからです。

「製造」という表現に、ぞっとされた方もいるかもしれません。ですが、個人の尊厳が奪われ、自由を剥奪された独裁国家のような実家の非人間性を描写するために、僕はあえてこの言葉を選んでいます(※これはあくまで僕自身の感覚であり、他の虐待サバイバーの方にこの表現を強要する意図はありません)。

こうした過酷な環境を生き抜いてきた自らの半生を、僕は2023年頃から『生存率1%以下の人生』と呼ぶようになりました。

僕の両親は端的にどんな人で、どんな虐待をしてきたか

一言で表すなら、彼らは「僕を追い詰めている時に、人生で最も輝いている人々」でした。 怒りや悲しみをぶつけてくる時ですら、どこか充足感に満ち、心の底から嬉しそうにしている顔を何度も見ました。

そして、彼らの大好物は『世間体』です。

特に父は、外向きには形ばかりの豊かな生活を演出し、僕が幸せであると周囲に思い込ませる能力に長けていました。その陰で、家庭という密室は僕にとって「精神の尊厳を破壊される場所」となっていたのです。

実家では、人としての倫理観やモラルが軽視される傾向が際立っていました。僕がそれらを身に着けようとすると冷笑され、時には罵声を浴びせられました。

例えば、酒に酔った父が公共の場でマナー違反を繰り返し、それを僕が窘めると、見下すような態度を隠そうともしませんでした。2024年11月2日、当時、生計のためにやむを得ず所属していた父の会社の懇親会で利用した飲食店でも、同様の振る舞いがありました。

少しずつ、道徳を大事にする心が削り取られていくような、歪んだ空間。 両親は口にこそ出しませんが、彼らが「製造」した僕という命を、自分たちの思い通りにならない「規格外の存在」として扱っていました。僕は、そうでなければ受けないような言葉や態度を、あまりにも多く浴びせられ続けてきたのです。

限りなく見えづらい『ステルス虐待』

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世間体を保ちながら、周囲に悟られずにターゲットを追い詰める。それが僕の両親のやり方です。彼らは愛を与えてきたと主張しますが、実態は僕の心をトラウマという「消えない汚染」で塗り潰し、QOL(生活の質)を極限まで下げる行為の連続でした。

(※ここに挿入されている荒廃した風景の画像は、かつての僕の心象風景に近いものです。「愛情」の名のもとに僕に核ミサイルの雨を降らせる両親。その結果生まれた、光ひとつ通さない分厚い雲に覆われた、終わりのない夜のような世界。これが、両親の言う「愛情」の正体でした。)

彼らは「死ね」といった直接的な暴言よりも、洗脳やグルーミング(手なずけ)を用い、長い時間をかけて精神を蝕む方法を選びました。僕は、こうした「見えづらい虐待」を『ステルス虐待(stealth abuse)』と呼んでいます。

2020年、僕がこの言葉を定義した際、SNS等では断片的に使われていたものの、自身の経験をもとにここまで詳細なリストとして体系化したのは、一つの独自の試みであったのではないか、と自分は感じています。

平田泰之式『ステルス虐待』の定義

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世間に虐待を明かし始めたかなり初期の頃(2020年1~2月)に書いたものなので、まだまだ改良点や追加点はあるでしょうが、『いわゆる一般的な精神的虐待の枠に当てはまりにくいが、確かに虐待されている』という想いも念頭に、下記のような、ステルス虐待を定義するリストを書いたことがあります。そのリストを載せてみます。

なお、下記のリストは、僕においてはほぼ100%、当てはまっている内容になります。

【虐待項目】

●明らかな暴言や罵詈雑言(バカ、アホ、ろくでなし、S**t、F**k you など)をあなたに対してめったに、あるいは全く用いないが、それらを用いずに怒鳴り散らしたり、侮辱を行ったり、脅したりする。

●あなたの持つ感覚を異常だと言われたり、からかいや侮辱の対象にされたりする。

●人や社会を粗末に扱うような歪んだ社会観を植え付ける発言をあなたに連発する。

あるいは、倫理的関心を持つべき社会問題についてほぼ毎回徹底的に無視を決め込んだ

り、痛罵やからかいすらする。

●両親だけが一方的にしゃべる一方で、あなたが応答・返答したりした際に何も返さない

(相互的コミュニケーションの放棄)。

●あなたが両親に人として認められた・尊重された経験を思い返すことがほぼ全く、あるいは全くできない。認められた・尊重された経験より、認められなかった・軽視された経験が自分の中で圧勝している。

●親自身に何らかの機能不全家族のさみしい家庭で育ったり、発達障害か精神障害がある

と思われるが、それらに向き合おうとしていない。それら障害と向き合わないことによって起こる不適応を止めようとしない。

●あなたがいじめや嫌がらせ等にあった時に、あなたではなく、いじめる側に同情するよ

うな発言、いじめられたあなたが悪いかのような発言を何のためらいも無く行う。

●親がどれだけ良いことをしてきたか、この家がほかの家と比べてどれだけ温かい家庭か

を事あるごとに強調し、自分の家がいい家であると洗脳・喧伝する。

●親が間違ったことをしても自分から謝ることは絶対にしない。親自身が人として間違っ

た、ひどい言動や態度をとった自覚が全くと言っていいほど無い。

●自分の考えること・感じることを絶対の正義と思っており、あなたの思考や感覚をほぼ

、あるいは一切受け入れようとしないか、侮辱の言葉をぶつけたりする。

●異論を持つ・感じたりするとそれらを感情的に否定されたり侮辱されたりする。

【家庭環境について】

●資産家であったり世帯収入が高かったりするなどの理由で、物質的に豊かである、あるいは経済的困窮が無い。

●経済的理由や家族の健康を理由で進学を諦めさせられたことがない。

●両親が家の外にいる人間から、良い人間・偉大な人間だとしばしば思われている。

●あなたを虐待するときに見せる表情、発言、サディズム、非人間性、暴力性などを、あなた以外の人間にはほぼ全く見せない。

●子供のころから、なんとなくあなたがこの家に存在してはいけない感覚を感じていた、

あるいは、存在していい感覚を感じられなかった。

僕はいかにして生き残ることができたのか

10代で母に境界線を踏み荒らされ、その隙間に父が入り込み、僕を実質的に隷属させました。 父の「教育」によって僕の心の境界線は崩壊し、自分で物事を決断できなくなった結果、一時は自己啓発セミナーに救いを求めそうになったこともありました。

そんな両親の異常さに決定的に気づくきっかけとなったのが、2011年3月11日の東日本大震災でした。 被災地の凄惨な様子をテレビで見て、不気味に目を輝かせながら「映画みたいだ」と声を弾ませた父。その姿に、僕は拭い去れない違和感と恐怖を覚えました。

その後、離島での一人暮らしを機に、僕は過去のフラッシュバックと向き合うことになります。 

Amazonで『毒になる親』などの書籍を貪り読み、歪んでしまった自分を「デバッグ(修正)」するための必死の作業を始めました。島の人々との交流も、真っ当な人間観を取り戻す助けとなりました。

かつての僕は、虐待の連鎖の中で自らも周囲を傷つける過ちを犯してきました。その罪悪感に夜通し泣き叫ぶ日々もありましたが、どこかで「人様に迷惑をかけたくない」という微かな良心が、私を踏みとどまらせてくれたのだと思います。

その後、再び実家という「閉鎖的な支配空間」に戻らざるを得ない時期が9年半も続きましたが、離島での気づきがあったからこそ、私は2020年にコーヒーという救いに出会うまで生き延びることができたようにも思います。

僕は真っ当な、真人間になれているのだろうか

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2013年3月31日、大阪梅田某所にあるタリーズコーヒーで、悪魔に魂を売ってしまったほどの変貌を超えたかつての友人に、僕の障害や生い立ちの話をし、

『おまえと友達になれるかどうかは、50/50やわ!!全ては、お前次第や!!』

と吐き捨てられたことがあります。また、この時の彼は僕のことを『おう!見下してるけどな!!』と言ったり、握手を求めた僕の手に『僕ドラえもんです!!』と言いながらグーでパンチを加えてきたこともあります。

…どうか、今の僕が、このような言葉を吐き捨てられるに値しない、吐き捨てられたとしても、周りの人たちからすぐに支えて頂けるような、この世を生きるに値する真人間になれていることを祈るばかりです。

いや、もし僕が真人間になっていないのならば、こうしてコラムを書くことも許されておらず、今これだけ、僕の背景を知りながらも僕を気持ち悪がったり差別や虐待を加えたりすることなく、共に進もうとしてくださる人は一人もいなくなっていたのでしょうか…?

以降の回では、僕の『親不孝リスト』、そして両親それぞれがどのような虐待を具体的にしてきたかを、より詳細に書いていきます。

この先のコラムでも、暗い話がしばらく続くことになるでしょうが、その更に先には、希望を感じられる話も無理なく増やしていければと思います。