皮も種も、未来になる!青パパイヤ“まるごと循環”が生む価値

岩本 脩成

岩本 脩成

2026.01.31
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宮崎県の畑から生まれたパパイア王子さんの連載コラム第3回です。今回は、青パパイヤが持つ“健康”の顔だけではなく、その裏側にある“循環”の物語をお届けします。

青パパイヤは、食卓に並ぶ前から、いくつもの選択に囲まれています。
収穫の瞬間、選別の基準、加工の工程、そして私たちが「買う」という決断。

その一つひとつが、捨てられていたものに意味を与え、続かなかった仕組みに呼吸を通していきます。派手な革命ではない。けれど、静かで確かな“まるごと循環”が、宮崎の風の中で育ちはじめています。

「規格外」から始まる、やさしい経済

見出し1画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_パパイア王子さん_規格外のパパイヤ

畑で実った果実は、どれも同じ太陽を浴びている。
同じ雨を受け、同じ風に揺れ、同じ手に支えられて育つ。朝露をまとった緑の肌は、ひんやりと静かで、収穫かごの中で少しだけ光る。葉をかき分ける音、かごに触れる果実の乾いた音。畑の景色はいつも穏やかなのに、次の瞬間、現実は驚くほど厳密になる。

野菜や果物の世界では、「規格外」という概念が存在している。ほんの少し形が違う。サイズが揃わない。表面に小さな擦れがある。

味や品質には問題がなくても、「規格外」という言葉で、居場所を失ってしまう果実がある。基準の線は目に見えないのに確かで、越えた瞬間に“商品”から外れてしまう。誰も悪くない。ただ、流通の都合や見た目の整いが、価値の入口を狭くしてしまう。

青パパイヤを“日常の健康習慣”として広げていくなら、ここで立ち止まりたい。
規格外を、最初から「余りもの」として扱わない設計が必要になる。捨てない前提で考える。使い切る前提で整える。そうすると、畑の景色が少し変わる。

畑を変えるのは技術だけじゃない。「出口」を先に用意する発想だ。形が不揃いでも、加工に回る道がある。少し傷があっても、乾燥や粉末で活きる場所がある。そう分かっているだけで、収穫の手つきが柔らかくなる。

農家さんの作業は、ただの生産ではなくなる。
「次は、どんな形でも価値になる」——その確信が、挑戦の余白をつくる。収量の波も、天候の揺れも、すべてを“損失”で終わらせない道ができる。私たちが手に取る青パパイヤは、健康のためだけのものではない。畑の時間と地域の手仕事が、次の季節へつながっていくための、静かな支えにもなっている。

規格外は、終わりじゃない。むしろ、物語のはじまりだ。

加工という“編集”が、未利用部位に言葉を与える

見出し2画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_パパイア王子さん_加工されたパパイヤ

果実は、収穫された瞬間から「素材」になる。そして素材は、工程の中で少しずつ、“暮らしに様々な価値で入り込める形”へと編集されていく。畑の空気をまとったまま運ばれ、洗われ、切られ、並べられ、熱と時間に預けられていく。その過程で、青パパイヤは静かに姿を変えていきます。

加工とは、魔法ではありません。派手に何かを変えるわけでもない。ただ、扱いづらかった部分に居場所をつくり、使いやすさを与え、必要としている誰かのもとへ届く形に整える。その静かな手仕事の積み重ねです。失敗しない分量、迷わない手順、手に取った瞬間に意味が伝わる形。暮らしの中で“迷子”にならないように、編集していく。

皮、端材、切り落とし。そのままなら、言葉を持てずに消えてしまうかもしれない部分が、乾燥され、粉になり、ピールになり、ティーバッグになっていく。乾燥室に広がるのは、甘さではなく、青い香り。「これは野菜なんだ」と思い出させる、凛とした匂いです。湯気の向こうに、畑の影が少しだけ浮かぶ。

ここで大切なのは、“やりすぎない”ことだと思います。香りを盛りすぎない。味を作りこみすぎない。主張しないのに、確かにそこに在る。だからこそ、日常の余白にすっと入っていける。強い個性は、ときに続けるハードルになる。静かな味は、生活のリズムに寄り添える。

ヨーグルトにひとさじ。サラダにひと回し。お湯を注いで一杯。“何かを頑張る”ではなく、“何かをそっと足す”くらいの距離感でいい。忙しい朝にも、疲れた夜にも、手が伸びるのは、その軽さがあるからです。

それが続くのは、身体にいいからだけではなく、手間が重くないからで、気持ちが疲れないからで、「今日の自分に無理をさせない」設計が、ちゃんと裏側にあるからです。たとえば、同じ一杯がいつでも淹れられるように。温度や時間、粒度や状態を整え、ばらつきを小さくしていく。目立たないけれど、その積み重ねが「安心して続けられる」を支える。

加工という編集は、素材を売り物に変えるだけではない。

暮らしの中の「続く」を、そっと設計する仕事でもあります。

宮崎から広がる「まるごと使い切る」文化

循環は、畑や工房の中だけで完結しません。最後の一手は、いつも私たちの側にあります。
買う。食べる。使い切る。そして、また選ぶ。ほんの数秒の行為なのに、その先には長い時間がつながっている。選ぶということは、作り手の明日を選ぶことでもあり、地域の季節を続かせることでもあるのだと思います。

その小さな選択は、点のように見えて、実は線になっていく。線が増えるほど、やがて静かな波紋になって広がっていきます。たとえば旅先でふと手に取った人が、家に帰ってから思う。「この青パパイヤの商品、買ってよかったな」。この感情の波が大切です。

忙しい平日の朝に、ティーバッグを一つ落とす。封を切った瞬間に立つ香りで、宮崎の風がほんの少しだけ部屋に入ってくる気がする。いつものサラダに、ドレッシングをひと回しする。そういう“もう一度”が、いつの間にか生活のリズムになる。

流行は熱で動くけれど、文化は習慣で残る。習慣は、無理をしない形でしか続かない。だからこそ、青パパイヤは声高に主張せず、静かに問いかけてくる。
—今日のあなたは、何を残したいですか?

青パパイヤは、派手に世界を変えたりしません。ただ、これまで注目されてこなかったモノに意味を与え、続かなかった仕組みに呼吸を通す。畑の風景と台所の湯気が一本の線でつながり、その線が増えるほど、宮崎からの“まるごと循環”は暮らしの中で当たり前になっていきます。

今日もどこかで、青い果実の一部が、誰かの一日をほんの少し軽くしている。その積み重ねの先に、きっと「革命」と呼びたくなる風景が、静かに待っています。大きな旗を振る景色ではなく、台所の片隅で“当たり前”になっていく景色。青い果実が、今日も明日も、暮らしの隙間をやさしく満たしていく景色です。

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