夢の物語の始まり!ママみっきーが生まれた理由

看護師として命と向き合い、仲間の死を経て、「もっと誰かの力になりたい」と決意。そして一人の女性起業家との出会いが、人生を大きく動かすことになります。“ママみっきー”という名前に込めたのは、誰かの夢に灯りをともす想い。本コラムでは、ママみっきーさんの人生に紡がれた、夢の物語の第1弾をお届けします。
皆さん、こんにちは。
そしてはじめまして、ママみっきーです🌸
今日からコラムを通して、私の想いや人生のストーリーを少しずつお届けしていきます。
この文章が、誰かの心にそっと灯りをともせたら──そんな想いで書いています。
記念すべき初回のテーマは、
「なぜ、ママみっきーは生まれたのか」。
私という存在がどんな想いから生まれたのか、その原点をお話しさせてください。
人への優しさを教えられた幼少期

私は神奈川県横浜市で生まれました。
物心ついたときには、母はすでにSLE(全身性エリテマトーデス)と血小板減少性紫斑病という難病と闘っていました。
発症の時期は、私の誕生とほとんど同じ。
だから私にとって「お母さんと遊んだ記憶」よりも、「病室で笑っていた母の姿」が強く残っています。
母の血小板の数値は、健康な人の10分の1以下。
少しの衝撃で命を落とすかもしれない──そんな危うい日々でした。
幼いながらにその状況を感じ取っていた私は、母の前ではいつも明るく、笑顔を絶やしませんでした。
でも、病室を出て車に乗った瞬間、涙が止まらなくなる日もありました。
それでも、母の周りには優しい人たちがいました。
同じ病室で頑張る患者さん、そして、どんな時も温かい言葉をかけてくれた看護師さんたち。
彼女たちの存在が、幼い私の心に「人の優しさ」というものを深く刻みました。
病院という場所で育った私は、
「健康であることは当たり前ではない」
「誰かの優しさが、誰かの命を支えている」
──そんなことを身をもって感じた幼少期でした。
憧れの看護師へ、そして未来への挑戦

そんな想いを胸に、私は幼い頃からの夢だった看護師になります。
手術室、外科、内科、救命、在宅医療──
多くの現場を経験し、たくさんの命と向き合いました。
けれど、ある出来事が私の人生を大きく変えました。
それは、親友の死。
誰よりも私を信じ、応援してくれた友人を救うことができなかった。
どんなに尽くしても、医療の力だけでは届かない現実がある──その壁に打ちのめされました。
「もっとできることがあるはず」
そう思った私は、看護師という枠を超えて学びを広げることを決意しました。
運命の出会い

学びを重ねる日々の中で、私は一人の女性起業家と出会いました。
その名は、白鳥ねねさん。
彼女は自らを“職業プリンセス”と名乗り、
その言葉通り、誰よりも自分らしく、そして堂々と人生を楽しむ女性でした。
初めて会ったときの衝撃は、まるで心に稲妻が走ったよう。
「こんな風に、自分の生き方を愛している人がいるんだ」
そう思った瞬間、胸の奥が熱くなりました。
ねねさんは優しく笑って、こう言いました。
「自分らしくっていいじゃん。そのままでも、もう十分素敵だよ。」
その言葉を聞いた瞬間、心の中で涙が止まりませんでした。
長い間、誰かのために頑張ることが当たり前になっていた私。
でも、“自分らしくいること”を許されたようで、心がふっと軽くなったのです。
そして私は気づきました。
私も──誰かの夢を本気で応援できる人になりたい。
関わる人すべてに、元気と笑顔を届けられる存在でありたい。
そんな想いをねねさんに伝えたとき、
彼女が微笑みながら言ってくれたのが、この名前でした。
「“ママみっきー”だね。」
その瞬間、胸の奥で何かが動き出しました。
ミッキーマウスのように、人に夢を届け、希望を広げる存在になりたい。
──それが、私の新しい目標であり、生き方になったのです。

If you can dream it, you can do it.
夢を見ることができるなら、それはきっと実現できる。
これから、このコラムで私の“夢の物語”を少しずつ綴っていきます。
次回は、私の挑戦の続きをお届けします。
どうぞ楽しみにしていてください🌈