障がいを武器に、未来を切り開く挑戦

須藤 優斗

須藤 優斗

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須藤優斗さんはセルフホワイトニング専門店の経営と、「美容サロン」を対象にした経営コンサルティングをされています。特別支援学校高等部を卒業後、日本工業大学建築学部生活環境デザインコース卒業。会社員をしながら、セルフホワイトニング専門店をオープンされました。そんな須藤さんに起業のきっかけや今後の展望について、お話をお伺いしました。

不安を抱えながらも踏み出した起業

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僕は現在2つ仕事をしています。1つ目は栃木県宇都宮市で経営しているセルフホワイトニングサロンで、2つ目が美容サロン向けの経営コンサルティング会社での裏方の仕事です。YouTube編集やスタッフの取りまとめ、支払い業務など、表に立つ相方を支える役割を担っています。

大学3年の頃に「起業」という言葉を知って以来、障がいがあっても社会を動かす存在になりたいと強く思うようになりました。そんな中、知人のSNSでホワイトニング事業を知り、「自分にもできるかもしれない」と挑戦を決めました。もちろん最初から順調だったわけではありません。不安で眠れない夜もあり、「大丈夫かな」と落ち込むことも多かったです。でも、その不安を乗り越えて一歩を踏み出せたからこそ、今の僕があります。

苦しみが生んだ原動力

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僕を突き動かす原動力は大きく2つあります。

1つは両親への親孝行です。長男として障がいを持って生まれ、育てる苦労をかけてきたことは容易に想像できます。だからこそこれまで支えてくれた恩に報いたいと思い、そのためには自分でお金と時間をつくり出す力が必要だと感じています。

もう1つは、中学時代のいじめです。障がいを理由にした心ない行為に心が折れかけ、「もう生きていたくない」と思った時期もありました。でもその経験が僕に「障がいと向き合う覚悟」を与えてくれました。嫌いで仕方なかった障がいを、思い切って「好きになってみよう」と自分に言い聞かせたこと。それが僕の人生の分岐点でした。

今ではあの経験すら「自分を強くしてくれた」と思えます。将来、同窓会でいじめた相手に「ありがとう」と言えるくらい立派になりたい。それがいまも僕の背中を押してくれています。

障がいを理由に諦めない社会へ

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建設会社で働いたのち独立し、起業してからは責任の重さを実感しています。すべての結果は自分の判断の延長線上にあり、うまくいかないこともあるけれど、「これも学びだ」と思えるようになってからは挑戦を続けるのが楽しくなりました。

将来的にはホワイトニングサロンを3店舗、4店舗と拡大し、そして同時に自分の経験を発信して「障がいがあってもできる」ということを伝えていきたいと思っています。どうしても障がいを理由に夢を諦めてしまう人は多いけど、でも本当は誰にでも可能性はあると僕自身が強くそう思います。特に親が「無理だ」と思ってしまうと、その諦めが子どもに伝わってしまうのではないかと感じます。だからこそ僕は、自ら矢面に立ち続け、挑戦する姿を見せることで、「自分にもできるかもしれない」と思える人が増えてほしいのです。障がいを武器に変え、未来を切り開く。そんな生き方をこれからも続けていきます。

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