ALS患者のドキュメンタリーを制作した監督が見据える次なる挑戦

毛利 哲也

毛利 哲也

column_top_(Mouri Tetsuya).jpg

学生時代に偶然目にした衝撃的な映像をきっかけに、メディア業界へ進んだ毛利哲也(もうりてつや)さん。山口の地方局で経験を積んだ後、『報道ステーション』の制作に携わるなど、報道の第一線で活躍してきました。そこから初めてドキュメンタリー映画の監督を経験した毛利さんが、どのような半生を送ってきたのかお話しを伺いました。

在ペルー日本大使公邸占領事件をきっかけにメディア業界へ

見出し1画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_毛利哲也さん.jpg

僕が映像の世界に入るきっかけとなったのは、大学4年生になる直前、3年生の3月頃でした。子供の頃からニュース番組が好きで、特に中学生の頃からよく観ていた久米宏さんの『ニュースステーション』が、とてもわかりやすく面白かったことを覚えています。

もともとニュースやテレビ全般に興味があり、バラエティ番組も楽しんで観ていましたが、大学4年生の時にペルーの日本大使公邸占拠事件で軍が突入する場面の映像 を見て衝撃を受けました。それまでメディア業界に進むつもりはありませんでしたが、その映像を見た瞬間、現場に立って自分も伝えたいという強い思いが湧き上がってきたのです。

しかし、すでに東京のキー局の採用はすでに締め切られていたのですが、その年の 秋頃に採用試験を受け山口朝日放送に入社。希望していた報道の部署に1年目から配属されることになりました。

その後、下関の支局への異動を命じられ、1人で勤務することになりました。 支局の担当範囲は、当時は人口30万人と県内で最も多いエリアで、経済の中心地です。そこを入社1年目で担当することになり、記者として報道に関わるだけでなく、カメラマンも兼任しました。

毎日のように事件や事故、行政の取材で昼夜問わず走り回り、その合間に独自ネタを探して取材して、特集として放送していました。合間に大好きな映画やドラマを見て美しい構図を研究したり、他局のニュースを見ながら、映像表現を勉強するようになりました。これが映像の世界にのめり込むきっかけでしたが、当時はそれが将来につながるとは思っていませんでした。

ALSと闘う武藤将胤さんとの出会い

見出し2画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_毛利哲也さん.jpg

下関で4年、山口市の本社に戻って4年、計8年間、記者兼カメラマンとして勤務しました。警察や県庁、衆議院や参議院の選挙取材など幅広く経験を積みましたが、次第にドキュメンタリーに集中して取り組みたいという気持ちが芽生えてきました。

その時、取材先の方から『報道ステーション』の関係者を紹介していただける話があり、実際にお会いして話を進めていただくことができました。こうして2006年、31歳の時に会社を辞め、東京で新しいキャリアをスタートさせることになったのです。

最初は報道ステーションのディレクターとして、ニュース取材や特集制作に携わりました。取材では基本的にはカメラマンと共に行動し、時に自分でデジカメを回し ていました。その後、現在の会社に転職したのは2017年。この年の4月、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の取材で、武藤将胤(むとうまさたね)さんと出会うことになります。

元々はALSについてほとんど知らなかったのですが、2013年当時、テレビ朝日のアナウンサーさんから「ALSを患ったいとこのために治療法を探してほしい」と相談されたことで詳しく調べるようになりました。それから患者様を取材し、病気が進行すると自力での呼吸ができなくなることを知りました。

その患者様は延命を選択されずに「ALSが治る病気になってほしい」と願って亡くなりました。その思いを受け継ぎ、報道ステーションで度々、新しい治療法の特集を企画するようになったのです。

そんな中、2017年に新聞記事で武藤さんのことを知りました。ALS患者でありながら精力的に活動する姿に驚き、ご本人に連絡を取ったところ、ちょうどテレビ朝日のある六本木近くに住まれていることがわかり、すぐに会いに行くことになりました。取材の内容や意図を説明したところ、快く了承をいただけたのです。

当初、報道ステーションで短い特集を2回放送し、さらに2021年にテレビ朝日の『テレメンタリー』(30分番組)でも放送しました。その直後にテレビ朝日のプロデューサーから「映画化」を打診され、弊社と共同での制作が始まりました。

私も監督は初めてで、どうやって映画としてつくるべきか悩んでいたのですが、幸いにも、プライベートで映画の脚本を手がけたことがある後輩の編集マンがいました。ただ彼も劇映画の経験しかなかったため、お互いに「ドキュメンタリー映画ならこうじゃないか」と話し合いながら試行錯誤を繰り返して制作しました。

たとえばナレーションを入れるべきところを、入れずに映像だけで数十秒見せるなど、”映像で見せる”ことにこだわりました。ただドキュメンタリーの表現に正解はないので、今も制作現場では常に模索と葛藤をしながら進めています。

観客から直接聞く感想が何よりの励みになる

見出し3画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_毛利哲也さん.jpg

映画の上映中に僕が心がけたのは、毎日劇場に足を運び、終映後に観客の皆様を見送り、直接感想を伺うことでした。東京では最初、品川の劇場に行っていたのですが、1日だけ行けなかった日がありました。その日にたまたま武藤さんの関係者の方が来られていて「監督がいなかった」と聞かされて、2箇所目の有楽町の劇場には 1日も欠かさず通いました。

観客の皆様から直接いただいた感想は、何よりの宝物です。「武藤さんの活動を応援します」という言葉に加えて、多くの方が「このままではいけないと感じまし

た」「明日からもっと頑張ります」など、ご自身の人生に重ね合わせて映画を見てくださりました。

また患者様だけでなく、一般の方々も同じように「勇気をもらいました。ありがとう」と感謝や励ましの言葉も多くいただき、そのたびに胸が熱くなり、涙がこみ上げ、本当にこの映画をやってよかったと心から感じました。

現在も継続的に武藤さんの取材を続けていて、武藤さん夫妻が父親、母親になられたこともあり、10月には再び、「テレメンタリー」で映画の続編となる作品も放送しました。今後、映画でも第2弾を制作したいと考えています。

この映画を通じて、自分の強みについて改めて考えるきっかけになりました。もともとディレクターは裏方の仕事で、表に出る機会は少なかったのですが、SNSでの上映告知や、武藤さんと一緒に舞台挨拶に立つことで、直接観客の皆様に語りかける機会が増えました。

自分はやっぱり撮影が大好きなので、これから世に出ていきたい人を応援する作品にテーマを絞って伝えていくことに、残りの人生で力を注いでいきたいと強く感じています。

今後も、ALSが治る未来を信じて武藤さんの活動に密着しながらドキュメンタリーの映画や番組の制作を続けつつ、宇宙と人間の死の精神世界など、まだ「科学で証明されていないことを科学で解き明かす」というテーマの映像化にも取り組んでいきます。


スタンダードCollaboratorの方は、このようなご自身のコラムを無料で寄稿できます。
ご要望の際は下記よりお問い合わせください。
https://waccel.com/contact/