「歳だから無理」という常識をくつがえす!ゴルファーのための脱力関節調律とは

山本 ゆう子

山本 ゆう子

2024.09.27
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『脱力関節調律』や『ゴルフ関節調律』という独自のメソッドを開発し、一般社団法人日本脱力関節調律協会の代表理事を務める山本ゆう子さん。「何歳になっても夢を追いかけ続ける人を増やしたい」と話す山本さんに、これまでの経歴や独自メソッドを生み出すことに至った経緯、これからの展望を伺いました。

新規事業立ち上げのストレスから引きこもり生活に

見出し1画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_山本ゆう子さん_柔道整復師

私は現在、『一般社団法人日本脱力関節調律協会』の代表理事を務めています。『脱力関節調律』や、『ゴルフ関節調律』を開発し、これまでに180名以上のゴルファーを指導育成してきました。昔から運動神経が良いと思われがちなのですが、かなりの運動音痴で学生時代にスポーツで活躍したという経験はまったくありません(笑)

高校時代には男子バレー部のマネージャーをやっていて、自分がプレーしていないのに、チームの一員として貢献できた経験がとても嬉しく、そこから「スポーツチームをサポートする仕事をしたい」と思うようになりました。

大学では柔道整復師やアスレチックトレーナーの資格を取得し、体に関する知識を深めました。ストレッチ専門店でのアルバイトも経験し、お客様に施術を行い、喜んでもらえるのはとても嬉しかったです。

それでも、同じお客様が翌週にはまた痛みを感じて再来店することが多く、「この繰り返しの先に本当の健康があるのか?」と疑問に感じるようになりました。社会人として働く大人がいかに疲れているかを実感しました。

柔道整復師の資格を取ると、整骨院や整形外科に就職するのが一般的なルートです。しかし、私はその道を進んでも自分が何かを変えることはできないのではないかと考えるようになりました。それでも独立を考えるには早すぎると思っていたので、新規事業を経験させてくれるような会社に入ろうと考えて、大阪のリフォーム会社に入社しました。

ちょうどその会社が整骨院の事業を開始したタイミングだったこともあり、柔道整復学科から一般企業への就職希望という異例の経歴が企業側の目に留まったようです。私は運命を感じて、すぐにその会社に入社を決めました(笑)

入社当初は、ダイエットに特化したパーソナルジムの立ち上げに携わりました。次に携わった新規事業で、現在私が行っているメソッドの原型が生まれたのです。この新規事業は「健康寿命を伸ばすこと」を目的に、70〜80代の女性20人ほどに対して1人のインストラクターが運動指導を行う施設を運営していました。

そこで、私は大きな衝撃を受けました。たとえば、「胸鎖関節の下にボールを置いてください」と指示しても、どの箇所を指しているのか分からないのが普通です。でも、その施設にいるおばあちゃんたちは、スッと動けるんです。

杖をついていた方が走れるようになったり、腰が曲がっていた方が姿勢を改善していく様子を目の当たりにし、「歳だから仕方ない」という考えが根本から覆されました。施術やトレーニングではなく、ただ体の使い方を教えているだけでしたが、これが健康な体を作る本質だと感じました。

そこからピラティスボールを使った運動指導を導入しました。教えていくうちに、このボールを使うことで効果が早く出ることを実感し、解剖学に基づいて骨や関節を一つひとつイメージしながら動きを教えるオリジナルメソッドを開発しました。

おばあちゃんたちにこのメソッドを教えるなかで、多くの成果を実感しましたが、私自身と上司は知らず知らずのうちに大きなストレスを抱え、心身ともに疲労困憊。ある日、仕事に行こうとしても体が動かなくなってしまい、引き継ぐ人もいなかったため、その事業を閉じることに。その後、私は会社を退職し、1年間実家で引きこもりの生活を送ることになりました。

独自のメソッド『脱力関節調律』を確立

見出し2画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_山本ゆう子さん_独自メソッドを広める

両親は、もともと私が優秀な大学に進学し、大手企業に就職することを望んでいたので、柔道整復学科への進学には大反対でした。親からしてみたら大学も就職した会社も望んでいたものとは違う娘が、1年で仕事を辞めて実家に帰ってきたわけです。

実家では、「健康に関わる仕事ではなく、有名企業に再就職しろ」と強く言われ続けました。その間、私は「生きている意味って何だろう」と考えてしまうほど、心が疲弊していました。

ある日突然、まるで天から降ってきたかのように「自分のメソッドを1,000人に広めよう」という思いが浮かんだんです。この決意をしてから急に元気が湧いてきて、再び体の使い方に関わる会社に就職しました。しかし、私は自分のメソッドに自信を持っていたため、その会社のやり方を受け入れることができず、結局3カ月で辞めてしまいました。

実家での引きこもり生活や、その後の会社での失敗を経て、まるで自分が社会からドロップアウトしたような感覚に陥りました。自分のやりたいことははっきりしているのに、思い通りにいかず、毎日がモヤモヤした気持ちとイライラの連続。自分のことが信じられず、みじめな気持ちでした。

その後、あるパーソナルトレーナーの社長から「うちで働かないか」と声をかけてもらいました。そのかたに、私のメソッドを広めたいという話をしたところ、「うちの会社でやったらいい」と言ってくれました。

2017年には現在まで行っている『脱力関節調律』をサービスとして提供できるようになりました。ただ、最初はパーソナルトレーニング目的で来店するお客様しかいなかったので、私の施術を受ける人はほとんどいませんでした。

当時、ビジネス紹介コミュニティに私も入会したのですが、そこからの紹介をきっかけに一気にお客様が増え、1年間で約1,000件の施術を行うことができました。施術の予約が取りにくくなるほどになり、『脱力関節調律』を学びたいという人も現れたため、2018年9月に独立することを決意しました。

その後、『一般社団法人日本脱力関節調律協会』を設立。現在までに約200人の方をトレーナーとして認定しています。独立する際は勢いで行動していたので、不安はまったくありませんでした。「何かを教えるなら一般社団法人を立ち上げるものだ」と、思い立ったらすぐに行動に移していました。

歳を取ることに夢を持てる世界をつくりたい

見出し3画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_山本ゆう子さん_著書『目かくしゴルフ』

私が今の仕事をやっていてよかったと強く感じたのは、2020年にゴルフ雑誌『週刊パーゴルフ』の巻頭カラーで8ページにわたる特集を組んでいただいた時です。これが初めてのメディア出演でそんなに大きな特集だとは思っていなかったので、雑誌を見た瞬間は震えるほど感動しました。

雑誌の特集に取り上げられたことで、「このメソッドは世の中に必要とされている」と確信できました。お客様から「山本さんと出会えて幸せです」と言っていただけることも何度かあり、この仕事を続けてきて本当によかったと感じています。

私が掲げているビジョンは「歳を取ることに夢を持てる世界をつくる」ことです。「歳だから腰や膝が痛い」「歳だから飛距離が伸びない」といった言葉を、もう言わせたくないのです。

この考えは、新卒で入社した会社の施設で、元気なおばあちゃんたちと接した時に学びました。何歳になっても、やりたいことに挑戦できるのが当たり前の世の中をつくりたいと思っています。そのビジョンに向けて、私のメソッド『脱力関節調律』をさらに広めていく必要があると感じています。

今は、まず「知ってもらう」というフェーズにいます。これまで180回以上さまざまなメディアに取り上げていただき、ありがたいことに少しずつ認知されてきました。次に私がやるべきことは「届ける」ことです。私自身がお客様にメソッドを届けるのはもちろん、そのメソッドを伝えられる人を育成し、より多くの方々に受け取ってもらえる形にすることで、ビジョンを実現したいと考えています。