新進気鋭のデザイナー
若生隆人 × ワクセル
若生隆人(わこうたかと)さんは、ファッションの名門校の文化服装学院在学中に数々のコンテスト入賞の実績を持つ、期待の若手ファッションデザイナーです。ブランド『Pablo Griniche』を立ち上げ、2022年2月にはコンセプトストアをオープンするなど、精力的に活動をしています。
今回は、ワクセル総合プロデューサー住谷とメディアマネージャーの三木が、ファッションの道にのめり込んだ経緯やイギリス留学など、若生さんのこれまでの経験を伺いました。
グランプリ受賞し、イギリスへ留学
三木:若生さんは専門学生だった頃に数々のファッションコンテストに入賞されていたそうですが、どのようなコンテストに参加されたのですか?
若生:有名なものでは『装苑賞(そうえんしょう)』があります。コシノジュンコさん、山本寛斎さん、山本耀司さんなど、日本を代表するデザイナーが受賞している賞です。僕はファイナリストに選出されましたが賞は取れず、とても悔しい思いをしました。それでも、デザインしたものがランウェイを歩くというとても貴重な経験をさせてもらいました。
三木:若生さんは、神戸ファッションコンテスト2016でグランプリを受賞し、イギリスのノッティンガム・トレント大学への留学権を取得。留学中には服飾学生を対象としたアワードでベスト20に入っています。イギリス留学でどのようなことを学んだのか伺いたいです。
若生:イギリス全土の学校から1,000人ほどの学生が集まり、コレクションが行われたのですが、20人に選出してもらって賞をいただくことができました。イギリスに留学したことで、海外と日本のファッションとの大きな違いを認識する機会になりました。
日本人は良くも悪くも同じような服を着ている人が多いと思います。「みんな同じがいい」という教育を受けてきているので、同じような服を着ていると安心するのかもしれません。現在、売れている日本のブランドは、突き抜けているデザインのものが少ないように感じます。それに比べ、海外では常に新しさを求めている印象があります。「人と違ったほうが素敵」という考え方は、日本人とは根本的な差があるように感じました。
言語の壁をモノづくりで乗り越える
三木:留学中に苦労したことはありましたか?
若生:やはりコミュニケーションには苦労しましたね。最初の半年間は語学学校に通い、その後ノッティンガム・トレント大学に行ったのですが、クラスメイトは全員イギリス出身で、半年間学んだ英語が通用しませんでした。聞き取ることも伝えることも苦労し、学校には顔を出す程度で、ほとんど自宅でモノづくりをするようになりました。でも、作った作品を学校に持っていき、机に置いた時に、それまでほとんど話したこともないクラスメイトが「それどうやって作ったの?」と声をかけてくれたんです。その時に“モノづくりで人の気持ちが動く”ということを体験でき、言葉の壁を越えられたと感じました。
三木:そもそも、若生さんがファッションに興味を持たれたきっかけは何でしたか?
若生:小学生の時に、母親が絵の教室に通わせてくれたことがきっかけです。絵を見せると母親や周りの人が喜んでくれるのがうれしくて、夢中になったのを覚えています。また、その教室にアルマーニしか着ない先生がいて、真っ黒な服装に金髪というとがったファッションに、小学生ながら「カッコイイ」と憧れていました。絵だけじゃなく、料理やモノづくりという体験もさせてもらい、いつしかファッションの道に進みたいと強く思うようになりました。
自分に向き合いファッション哲学を確立
住谷:若生さんがデザインするうえでこだわっていることやテーマはありますか?
若生:カウンターカルチャーであることです。何事も主流のことに対して反対意見を持つようにしています。別の角度から物事を捉えるように意識しているので、僕のデザインは突飛だと思われることが多いと思います。僕が憧れている海外のデザイナーは、カウンターカルチャーを切り開いてきた人たちで、その人たちの影響を受けたファッション哲学を追い求めているんです。そのため僕のデザインには反骨心や戦う姿勢が強く表れているのかもしれません。
僕は自分のことを深めたいという気持ちがあったので、一人で作品を作る時間を大事にしてきました。学生時代は飲み会や友達からの誘いを断って一人の時間をつくり「自分らしさとは何か」を探していましたね。
今思うと苦しい時間でしたが、コンテストのために1日何十枚も絵を描き、努力をしてきたことが今につながっていると思います。ファッション業界は途中で挫折してしまう人もたくさんいますが、僕はうまくいかなくても泥臭く続けることを意識してきました。たくさんの人に助けてもらい、今まで続けることができたと思っています。
仲間の助けを借りながら築いたブランド
住谷:今までどのような助けがあったのか、印象に残るエピソードはありますか?
若生:たくさんありますが、神戸ファッションコンテストでグランプリを取れたのは、クラスメイトだった友人たちのおかげです。提出期限前日の朝まで寝ないで手伝ってくれました。僕は3日間くらい寝ておらずヨロヨロになっていたのですが、友人たちがタクシーを捕まえて「行ってこい!」と送り出してくれました。それでもまだコンテスト用の服が完成していなかったので、タクシーに乗っても服を作っていて、運転手さんに試着の協力をお願いするくらいの状態でした。
神戸の会場に着いても未完成のままでしたが、同じようにコンテストに参加していた他のクラスメイトが「こうやるんだよ」と手伝ってくれました。そんな状態でしたがプレゼンがうまくいき、僕のデザインを評価してもらえたので、本当に友人たちに救われたと思っています。
三木:留学から帰国後、そのご友人たちと一緒にブランドを立ち上げたのですよね?
若生:学生時代から一緒にいた4人と「いつかやろう」と決めていたんです。ただ、そのブランドはワンシーズンで終わってしまいました。その友人たちとはルームシェアをしながら、一緒にブランドを立ち上げたのですが、当時の僕は古着屋にも勤めていて、どうしても友人たちと生活が合いませんでした。結局、うまくいかずに僕は離れましたが、とてもいい経験になったと思っています。
その後、古着屋とブランドを展開している会社に入り、そこでブランドの立ち上げを任せてもらいました。ただ、その会社でもさまざまなことがあり、退職しました。僕が作ったブランドは会社のものだったので、在庫や権利を買い取る必要があり、借金をすることに……。自分自身のブランドができるまでたくさんの苦労がありましたが、仲間たちのおかげで2、3カ月で借金を返すことができ、『Pablo Griniche』というブランドを立ち上げることができました。
「古着は教科書」先人から学び取る
住谷:若生さんの今後の展望についても教えてください。
若生:2022年2月から東京・上野にあるアトリエと契約をして、コンセプトストアをオープンします。僕の哲学で選んだ古着やアンティーク、ヴィンテージ、自分のブランドなどを置くお店で、1年間限定でガムシャラにやってみるつもりです。
僕にとって古着は教科書みたいなものです。昔の人が作った服を見ると、生地や作り方から学べることがたくさんあります。どんな本を読むよりも古着から学ぶことが多く、僕のそばには常に古着があります。それが僕の人生というかスタイルなんですよね。今後は古着に専念するのか、ブランドに専念するのかわかりませんが、この1年でこれからの道を決められたらと思っています。