経営者対談

DA PUMP
KENZO × ワクセル

今回のゲストは、世界の頂点を極めキングオブダンサーとも称されるKENZOさんです。ダンス世界大会で8年連続優勝という前人未到の記録を持つKENZOさんに、ダンサーとしての原点や夢を持つ大切さを伺いました。

MCはワクセルコラボレーターの美谷玲実(みたにれみ)さんと、総合プロデューサーの住谷が務めました。

ダンス番組をきっかけに15歳でダンスをスタート

DA-PUMP-KENZO-waccel.jpg

美谷:本日のゲストは、ダンスボーカルユニット『DA PUMP』のメンバーとして活躍するKENZOさんです。KENZOさんは、ダンス世界大会で8年連続優勝するという前人未到の記録を持つ方です。30カ国以上のダンスイベントに招待され、400回以上パフォーマンスを披露してきました。まずはダンスを始めたきっかけを伺いたいです。

KENZO:高校受験の勉強をしている時に、TRFのSAMさんがやっているダンス番組が深夜に放送していて、その番組のダンサーを観て胸に衝撃が走ったんです。カッコいいな、やってみたいなと思い、ビデオを録画して見よう見まねで練習を始めました。

本当に田舎に住んでいたので教えてくれる人もいませんでした。毎週ダンス番組を録画して、ビデオが擦り切れて音も聞こえなくなるくらい、「こうかな?」と自問自答しながら反復練習していましたね。

それから高校1年生の時に番組でダンスイベントの情報を知り、そこに行って直接ダンサーに「教えていただけませんか?」とお願いして、教室に通うようになりました。

「ダンスを生業にしたい」20歳でダンスグループに加入

DA-PUMP-KENZO-waccel.jpg

美谷:その後20歳の時にダンスチームで活動を始められたと伺いました。

KENZO:福岡から上京してきて『SHUFFLE!!(シャッフル)』という5人グループに加入しました。ジャスティン・ビーバーさんなど著名海外アーティストのバックダンサーをしたり、振り付けをしたりするメンバーがいて、各メンバーがスペシャリストのグループでした。ダンスを生業にしたい」という同じ夢を持って、時には意見をぶつけ合ったり、言い合いになったりしながらも切磋琢磨してきましたね。

21歳頃に日本で誰もが優勝したいと思う大会で優勝したり、日本代表としてアジア大会に出場したりするようになって天狗になっていた時期がありました。

その時にHICKYというメンバーから「最近のKENZOのダンス良くないよ。全部自分が正しいみたいになっているから、気を付けた方がいいよ」と苦言を呈されたんです。それをきっかけに「自分がやってきたことは間違っていたのかもしれない」と、自分を見つめ直すことができました。

住谷:普通は反発してしまいそうですが、素直に受け入れられたのですね。

KENZO:チームメイトから言われたということが大きかったと思います。同じ道を一緒に歩んできたメンバーだから、どこかリスペクトがあり説得力がありました。その時のメンバーは家族のような存在ですね。

今はみんなそれぞれ色々な仕事をしているので、集まる機会は年末年始とかショーケースの時しかないですが、お互いの人生を認め合って、応援し合っている仲間です。僕が世界大会で8年連続優勝という結果を残せたのも、彼らのおかげだと思っています。

「世界一」は亡くなった幼馴染との約束

DA-PUMP-KENZO-waccel.jpg

美谷:ダンスをしてきて一番の思い出はありますか?

KENZO:『JAPAN DANCE DELIGHT(ジャパンダンスディライト)』という大会にチームで出て入賞した時に、初めて両親を呼びました。母はずっと支え続けてくれていましたが、父は“ダンスは不良の文化”というイメージが強く、まったく応援してくれなかったんです。むしろ「早くやめて、真っ当に生きろ」と言われていたくらいで。

でも初めて大会に呼んで「朋揮(ともき・KENZOさん本名)がずっと好きで、やり続けていたものはこれだったんだな」って涙を流しながら僕のダンスを観てくれたそうなんです。父が本当に喜んでいたという話を母から聞いて、人の心を動かすダンスの力を体感しました。

住谷:お父様の心を突き動かすことができたんですね。KENZOさんは世界大会を8年連続優勝されています。1回でも優勝できたら満足しそうなものですが、なぜそこまで長く極め続けることができたのですか?

KENZO:僕には世界一を目指す大きな理由があったんです。実は高校生の頃に幼馴染を交通事故で亡くしています。その幼馴染は日本一の洋服屋を目指していて、僕はダンスで世界一になりたいとお互いの夢を話し合っていました。けれど、その2週間後に亡くなってしまったんです。

だから、彼の想いも背負って「2人分の人生を歩んで行こう。彼に言ったことは必ず叶えなきゃ」という気持ちがありましたね。

ずっとダンスをしていると自分の物差しがわからなくなる時があります。自分が納得していないダンスで拍手をもらえている時もあって、大会に出場し続けることはその物差しを合わせる意味もあったと思います。

悩み抜いてDA PUMPへ加入。『U.S.A.』で日本中を笑顔に

DA-PUMP-KENZO-waccel.jpg

住谷:現在、DA PUMPのメンバーとしても活躍されていますが、加入に至った経緯を伺いたいです。

KENZO:思い返せばかなり自分のなかで葛藤があった出来事ですね。実は2回加入を断っています。DA PUMPはストリートダンスを日本全国に広めたアーティストグループですし、番組でも共演させてもらって素敵な方たちだと知っていたので、リスペクトの念しかありませんでした。

でも、もともと芸能界に興味がなく、ダンサーとして夢を与えるという目標があったので、こんな気持ちで入っても迷惑をかけるだけだと思い、断っていたんです。

2回断っているのにまた呼び出されて事務所行くと、ISSAさん(DA PUMPリーダー)が座っていたんです。ISSAさんから「KENZOの力が必要だから入ってくれないか?」と直接言われ、「僕が力になれることは現状ダンスしかないですけど、それでも良かったら加入させてください」と話して、加入することになりました。

美谷:かなり迷ったうえでの加入だったのですね。DA PUMPと言えば『U.S.A.』の大ヒットが記憶に新しいですが、あれほどの大ヒットを巻き起こした当時の心境は?

KENZO:マネージャーから楽曲が送られてきた時は、あれだけキレイな歌声のISSAさんが「カモンベイベー」と「USA」しか歌ってなくて、1回パソコンを閉じて、何かの間違いじゃないかと思いました(笑)

でも3年半ぶりに出る楽曲で、これが当たらなかったら辞めようと考えているメンバーもいて、とにかくみんなで一生懸命楽しくつくりたいという思いでしたね。子どもたちが笑顔で飛び跳ねてダンスを真似してくれて、こんなに人を笑顔にできる楽曲を出すことができて、本当に良かったです。

夢を持つことは人生を豊かにする

DA-PUMP-KENZO-waccel.jpg

美谷:KENZOさんは、夢に向かって生きる子どもを育てるキャリア教育『夢授業』という活動にも取り組まれているそうですが、それも踏まえて今後のビジョンを教えてください。

KENZO:僕は夢を持ったり、何かに一生懸命打ち込んだりすることが、人生を豊かにすると考えています。夢授業では、夢を実現するためにはどうしたらいいか、具体的な行動の仕方を教えています。

たとえばダンスで世界一になりたかったら、たくさん練習をする、そんなことは当たり前ですよね。世界一になるためには、練習量は1日これくらい、食事をこれにする、相手のデータ分析も必要で、たくさんの知識もいるし、音楽のことも知らないといけない。それらを全部クリアして、初めて世界一が見えてきます。

実現するためにはただ漫然と頑張るだけではダメで、自分の夢について理解して、具体的な方法を考える必要があります。そういったことを伝える活動をしています。

僕は夢を持ってワクワクする気持ちがとても大切だと思うんです。そのワクワクが未来の自分をつくるので。今後もたくさんの人が笑顔や元気になれる場所をつくり出して、僕自身も常にワクワクしていたいですね。

トークセッション一覧にもどる