車いすフェンシング日本代表
河合紫乃 × ワクセル
今回のゲストは、車いすフェンシング日本代表の河合紫乃(かわいしの)さんです。
河合さんはもともとバドミントン社会人リーグの選手でしたが、股関節の手術の後遺症で左下肢の不全麻痺を負い、車いす生活を余儀なくされました。辛い経験を乗り越え、車いすフェンシングに転向して日本代表として活躍。さらに、モデルとしても活躍する河合さんの笑顔の秘訣を伺いました。
MCはワクセルコラボレーターでフリーアナウンサーの川口満里奈さんと、ワクセル総合プロデューサーの住谷が務めました。
「何でもいいから輝きたい」寝たきり生活からパラアスリートへ
川口:河合さんは2018年に車いすフェンシングを始め、その後1年足らずで日本代表に選出され、さまざまな国際大会に出場されています。車いす生活となり、バドミントンからフェンシングに競技を転向したのはどういった理由があったのでしょうか?
河合:小学生の頃にバドミントンを始めて、それから17年間バドミントンをしていました。障がい者になり、パラバドミントンから「メダルに近いよ」と声を掛けてもらったのですが、そのときの私は握力が8kgしかなくて、バドミントンをするのは難しいと感じました。また、健常時の自分と比べて葛藤することがわかっていたので、それなら新たな競技にチャレンジしたいと思ったんです。「ゼロからチャレンジして世界で活躍したらどれだけカッコイイだろう」って。たまたま車いすフェンシングという競技が東京パラリンピックに向けて選手を募集していることを知ったので、「これにしよう」とノリで決めました(笑)
住谷:車いす生活になってからフェンシングをするまでの間に落ち込んだり、何もしたくないと思ったりしたことはなかったですか?
河合:治療のため2年間寝たきりで引きこもりになりました。体重も30kgまで減ってしまい、げっそりして人とも喋れない状態でしたね。でも、入院中、大学時代にバドミントンで一緒に全国優勝をした後輩が、東京オリンピックの候補に挙がっていることを知りました。その後輩と「一緒に東京五輪に出よう」と約束していたことを思い出し、「何でもいいからもう一度輝きたい」と思ったんです。
より成長するために「高い目標を持つ」
川口:そもそも車いすフェンシングとはどういうスポーツなのでしょうか?
河合:私が専門にしている『エペ』という競技は、とにかく相手よりも先に突くっていうシンプルなルールです。健常者のエペの場合、相手選手の全身が有効面となりどこでも先に突いたら勝ちとなります。車いすの場合は、車いすを固定して戦い、下半身を突いてもポイントにはなりません。上半身だけでどうやったら相手が前に出てくるか、しぐさなどで駆け引きを行います。すごく頭を使う競技で、駆け引きの仕方などはバドミントンと似ていると思います。
エペで使う剣の重さは770gほどあります。それを片手で持つのですが、私は最初握力が8kgほどしかなかったので、試合が3分間あるのに2分も持つことができませんでした。そのときにコーチからは「やめた方がいいんじゃない」って言われましたね。 でも、バドミントン選手時代の根性というか、負けたくないという気持ちが蘇り、「絶対見返すぞ」と思ったんです。そこからはすごく大変でしたが、2年間かけて今の身体に戻していきました。
代表に入ってからは「結果を残さなくてはいけない」「応援や支援をしてくれる人に恩返しをしなければいけない」というプレッシャーが強くて、最初は苦しかったです。でも「自分を信じてやるしかない」「高い目標を持てば何かが変わるかもしれない」という気持ちで、人としても障がい者としてももっと成長できると信じて今も頑張っています。
「まぁいいか」精神で現実を受け入れ、笑顔を取り戻す
川口:河合さんにお会いするにあたってSNSをたくさん拝見しました。笑顔の写真が多くて、見ているだけでパワーをもらえるなと思いました。
河合:私は健常者の経験もあるので、障がい者には“かわいそうなイメージ”があることを知っています。「不幸」とか「笑えないんじゃないか」とか、私も思っていました。実際、私は障がい者になったばかりの頃、現実を受け入れられず笑えませんでした。でもこの障がいがなくなることはないので、考え方を変えるしかないと思い、「まぁいいか」って受け入れることにしたんです。慣れれば苦しくもないし、この身体で何をしようかという考え方に変えることができて、笑顔を取り戻すことができました。
そして、障がい者になってからさまざまな方にお会いする機会も増えました。今回のトークセッションの機会も自分が障がい者になっていなかったら実現しなかったものですよね。だから本当に今の出会いを大切にしているんです。出会う人が増えるほど、たくさんの考え方を知ることもできますしね。今では、障がい者になってすごく楽しいと思えるようになりました。
「成功に変えるから失敗はない」パラアスリートになって得た強さ
住谷:河合さんは車いすフェンシングだけではなく、モデルとしても活躍されています。なぜやってみようと思ったのですか?
河合:実はモデルはフェンシングをする前からやっています。今でも続けているのは「世の中の障がい者の概念を変えたい」と思っているからです。障がい者だからポージングができないといった概念を変えたいんです。始めるきっかけは何でもいいと思っていて、「やってみようかな」って軽いノリで始めることがほとんどですね。
住谷:ノリで始めてみて失敗したことはありませんか?
河合:失敗は今のところありません。周りはどう思っているかわからないですけど、必ず成功に変えちゃうので、失敗はないと思っています。私は障がい者になり、パラアスリートになってから強くなったんです。車いすだとコンビニに行っても棚の上部にある商品は手が届かなくて、これまでの自分だったら諦めていました。今では見ず知らずの人に「すみません、助けてください」と言えるようになりました。
最初は一人では外にも出られず、常に誰かいないと行動できなかったんですが、フェンシングを始めてから考え方がどんどん変わっていきました。なるべく自分でやるけど、どうしても一人でできないことは誰かに助けを求めればいいと思っています。勇気を出して自分から声を掛ければ必ず周りの人が助けてくれるので、できないことがあっても「まぁいいか」と思う気持ちが少しずつ出てきました。
「弱い自分はもういない」挑戦することで実感
川口:東京タワーに自力登頂したと伺っています。その挑戦はなぜしようと思ったのですか?
河合:それもノリですね(笑)。私の友人に東京タワーを外階段で上るアスリートがいて、その方に相談して「やってみようかな」って。私は左のお腹から足まで感覚がなくて力もまったく入らないので、右腕で手すりを持って左手に持った杖を足代わりにして上りました。東京タワーの外階段は約600段あって、健常者は15分くらいで上るそうなので私は1時間で上ると目標を立てました。半分くらい進んだところで、酸欠で頭がくらくらしてきてほぼ記憶がないんですが、周りのサポートの人たちがインスタライブを撮影していたので、「変な顔はできない」と思って頑張りました(笑)。結局44分で上り切り、この挑戦を達成したことによって「昔の弱い自分はいない」って実感をすることができましたね。
川口:そんなすごいことを達成したばかりなのに、SNSで「次の挑戦は何にしようかな」という投稿を見ました。「もう!?」ってビックリしたんですが、今後他にも挑戦してみたいことはありますか?
河合:スカイツリーや富士山にも登ってみたいですね。24時間テレビなどの企画で登れたら楽しそう。さまざまな人に私の挑戦を見てもらって「自分も一歩踏み出そうかな」と思ってもらえたら、それが一番うれしいですね。
これから2024年のパラリンピックに向けてチャレンジを続けていきますが、その後の生き方も最近よく考えています。私はやっぱりスポーツが好きなので、アスリートとして生きていきたいです。スパルタンレースという世界最高峰の障がい物レースにも、いつか出てみたいですね。何もできないと諦めていた空白の数年間を取り戻すために、さまざまなことに挑戦していきたいです。
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