経営者対談

日本産 ブラジル製 アーティスト
KAUAN OKAMOTO × ワクセル

今回のゲストは、「日本産 ブラジル製」のアーティスト・KAUAN OKAMOTOさんです。

KAUANさんは日本人とブラジル人のMIXで、日本語、ポルトガル語を操るシンガーソングライターです。15歳から大手芸能事務所でエンターテイメントを学び、作詞・作曲だけでなく、ダンスの振り付けや演出など、多岐にわたって活躍しています。ブラジルで視聴者数3,000万人を超える人気番組に日本人として初めて出演。国内外で大注目のマルチアーティストKAUANさんに、これまでの軌跡を伺いました。

MCは、ワクセルコラボレーターでタレントの渋沢さんと、ワクセルメディアマネージャーの三木が務めています。

初ステージが東京国際フォーラム

アーティスト-KAUAN-OKAMOTO×ワクセル

渋沢:まずお聞きしたいのは、15歳で芸能界に入ったきっかけは何でしょうか?

KAUAN:母がモデルに応募してくれたのがきっかけです。当時はテレビでハーフタレントが流行りだした時期だったんです。自分を表現することや、MIXであることを生かしたいと思ったときに、「モデルやったらいいんじゃない?」と母に勧めてもらいました。

また、当時の僕は音楽によってすごく救われていると感じていました。こんな雰囲気なのでビックリされるかもしれませんが、小田和正さんの曲をよく聴いていたんですよ。洋楽ではアッシャーや、ジャスティン・ビーバーが好きで、「歌って踊れるのってカッコいい」と思いました。音楽に救われる側から、音楽を“自分も表現したい”に変わった頃に、たまたまジャニーズ事務所のジャニーさんから声をかけていただきました。

急に知らない番号から電話がかかってきて、電話に出ると「ボクだよ、ボクだから」と言われました。話していてジャニーさんだとわかりましたが、最初はオレオレ詐欺ならぬ“ボクボク詐欺”かと思いました(笑)。ジャニーさんから「今すぐ国際フォーラムに来て」と言われ、生まれて初めての新幹線に乗って東京へ向かいました。

会場に着いてみるとオーディションではなく、ライブ会場でした。ジャニーさんから「YOU、今日のライブに出ちゃいなよ」と言われ、ビックリしながらも急遽ライブに出演することに。そこでジャスティン・ビーバーの『Baby』をアカペラで歌ったことでジャニーズ事務所に入ることになりました。ジャニーさんのおかげで人生が変わったので、そこから奇跡を信じるようになりましたね。

事務所から独立してソロデビュー

アーティスト-KAUAN-OKAMOTO×ワクセル

渋沢:ジャニーズで活躍した後に、今では独立してソロ活動をスタートされていますが、どのような背景があったのでしょうか?

KAUAN:日頃からジャニーさんとは方向性について密に話したり、自分で作詞・作曲をしたものを見てもらったりもしていました。カメラマンを自分で手配して、自分で監督を行い、出来上がったPVが『Fantasy Dance』です。ジャニーさんも後押ししてくれたので、何とかジャニーズの中でできる道がないか模索しましたが、なかなか難しかったですね。

「YOUが決めた道が一番いいんじゃない」とジャニーさんも言ってくれたので、悩んだ結果、20歳になる前にジャニーズ事務所を辞めて、自分の夢を追いかけることにしました。お世話になったジャニーズ事務所には、いつか恩返しできればと思っています。

その後、新たな音楽事務所に入りました。事務所と一緒になってメンバーを集め、僕もメンバーの一員として1年ほどの活動を経て2017年にデビューしました。今では完全にセルフプロデュースで活動しています。

渋沢:すベて事務所にやってもらっていたところから、自分でやらなきゃいけないって状況に変化したときに、困ったことや苦労した点はありますか?

KAUAN:それはすごくありますね。ジャニーズの頃はバラエティに出させてもらっていましたが、今日のような撮影はすごく久しぶりなんですよ。テレビでは、スタッフさん全員でいい番組を作ろうと動いてくれていますが、一人でやるとうまくいかないことばかりです。

「メイクさんがここまでやってくれていたのか」とか、「カメラは1台だと全然撮りたい画が撮れなくて、4台必要なんだ」とか、やってみて初めてわかることがたくさんあります。セルフプロデュースで活動していくには人がついて来る自分になる必要があります。そこが大変だと感じました。

目指す音楽は、ラテンとアジアンPOPの融合

アーティスト-KAUAN-OKAMOTO×ワクセル

三木:大手事務所からソロ活動になり、海外で広く活動していくなかで、周囲からの反対や逆境などはありましたか?

KAUAN:特に言われたのは、「辞めるのはもったいない」「ジャニーズにいた方がよかった」。言われるのは辛かったですし、カチンとくることもありました。それでも自分としては腹をくくって辞めたので、何かしら言われることは覚悟していました。

渋沢:アーティストとして、自分が表現したい世界観を今はやれている実感はありますか?

KAUAN:そうですね。春にはまたブラジルへ渡る予定があって、今年の目標としてはラテン要素と、J-POP、K-POPの要素を融合させるということです。何も隠さずに、僕のアイデンティティを全部出しきった音楽を生み出します。僕はカメラマンやプロデューサーなどを自分で集めてクルーを組んでいるのですが、ブラジルでのクルーと組み合わせて行ったり来たりしながら、クリエイティブ制作をしようと考えています。

ブラジルは世界最大の日系人居住地であり、アジアに対してのリスペクトも強いです。国民性としてライブや音楽を好きな人が多く、世界一大きいライブ会場があり、本当に夢を見させてくれるようなムードがブラジルにはあります。日本とブラジルを代表して世界に発信できるようなアーティストを目指したいですね。

繊細さとおもてなしの心を持つ日本。情熱的で愛情に溢れるブラジル。真逆といっても過言ではない文化ですが、僕はそれが魅力だと思っていて音楽で多様性を表現していきたいですね。地球の反対側にある日本とブラジルが、お互いを尊敬しあえる夫婦のような関係になれるのではと思います。

コロナ禍の“洞窟”で見つけたひとすじの光

アーティスト-KAUAN-OKAMOTO×ワクセル

三木:昨年にリリースされた『Cave』という曲を聴きましたが、とてもメッセージ性が強いと感じました。どのような思いを曲に込めているのか聞かせてください。

KAUAN:『Cave』は、“洞窟”という意味ですが、まさにこのコロナ禍での体験を表しています。ソロとして掲げた目標に対していい結果が出ていたのに、一度ストップせざるを得なくなり、やるせなさを感じていました。お金も時間もかけたものが一瞬でなくなり、まさに洞窟にいるような感覚だったところから、どうやって這い上がろうかなと……。

Aメロは「A loser or lover(俺は負け犬なのか愛されてるのか)」から始まり、心の奥にある思いを吐き出しています。「I’m a star(俺はスターだ)」って歌詞は、ものごとをストレートに表現するブラジル人らしさがあります。自信があるから言っているわけではなくて、「そうでも言わないとやってられない」と、自分を奮い立たせています。洞窟の中で光を探しているんですよね。

Bメロでは、「もっと優しくみんなに接していこう」という歌詞など、自分も光を灯せる人になりたいというメッセージがあります。僕の曲は、まず自分に問いかけてから、相手に伝えているところが多いんですよね。サビでは「I hope light will open your gloomy way(光が君の澱んだ道を照らしてくれるように願っている)」と歌っていますが、この“君”とは、自分のことでもあるし、相手のことでもあります。みんなが洞窟の中にいて、「一人だけじゃないんだよ」という思いを込めています。

三木:これからも世界でますます大活躍かと思いますが、今後のビジョンについて聞かせてください。

KAUAN:まずはブラジルで、ラテン・アジアンPOPの要素を取り入れた曲を話題にすることです。自分のSNSの数字を伸ばすことも目標のひとつとしてあります。数字を伸ばすということは、みんなの心に届いているということですよね。「KAUANの曲を聴いて、生きる意味を見出した」と言ってくれる人もいるので、そうやって人の心に残る曲を作りたいです。まずは自分のアイデンティティである「ラテン・アジアンPOP」のなかでどこまで表現できるか、自分との勝負です。

ワクセルのようないい番組はなかなかないので毎回出たいくらいです。今後は一緒に何かプロジェクトなどやっていきたいですね。

 
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