経営者対談

阪神タイガース特別補佐
藤川 球児×ワクセル

阪神タイガース特別補佐の藤川球児さんにインタビューさせていただきました。

1999年阪神タイガースに入団後、メジャーリーグ(MLB)でも活躍され、現在は阪神タイガースの特別補佐を務められています。

藤川選手の代名詞といえば驚異的な伸びを特徴とする直球「火の玉ストレート」。2021年1月20日には著書『火の玉ストレート プロフェッショナルの覚悟』を出版されています。

今回は野球のみならず、仕事観などについてもお話をうかがいましたので、ぜひ最後までお楽しみください。

相手を観察し、伝わりやすい方法で伝える

インタビュアー:阪神タイガース時代、JFK(ジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之)の一角として活躍されましたが、当時のお話をお聞かせください。

藤川:最初はわたしが1番活躍していませんでした。しかし、どんどん成長していったので、3人を比較したときに久保田選手が少し劣っているように映っていたようです。

久保田選手がメディアに非難されていることもあったので、支えようとは思っていました。久保田選手のストレス発散方法は飲みに行くことだったので、毎日一緒に飲みに行っていました。

JFKと呼ばれてはいましたが、わたしは「2人がいなくても自分はマウンドに立つ」と決めていました。

自分はできると思ってやっていたので、楽しくて仕方なかったです。試合数や責任が増えていくのも頼られている証拠だと感じていたので、大歓迎でした。

ベテランになったときは役割が変わり、劣勢の時に投げることが多かったので、そのための準備をしていました。

オンとオフをわけることでメンタルを強く保つ

インタビュアー:藤川選手のメンタルの強さの秘訣を教えてください

藤川:わたしはグラウンドと家でまったく人格が違います。自分が2人いると思っているんです。

そのため、こういうインタビューをあとで映像や文章でみると「こんなこと話したっけな?」と思うんです。

おそらく、グラウンド内とグラウンド外の自分を現役時代から分けていたからだと思います。

男性でわたしのオンとオフの境目がわかるのは兄だけだと思います。兄は「何があっても球児を理解できる男性は自分だけだろう」と言っています。

オンとオフのギャップが大きいので、よく驚かれます。今後はオンとオフが合わさった状態になりたいなと思っています。

多くの経験の集大成が「火の玉ストレート」

インタビュアー:ストレートに一点集中することに迷いはありましたか?

藤川:「火の玉ストレート」は最初からあったわけではありません。高校時代はむしろ変化球が多かったです。

いろいろやってみた結果、25歳のときにでき上がったものなんです。事業も何回も失敗してやっとうまくいくと思いますが、わたしにとってはそれが火の玉ストレートでした。

つまり、野球人生で培ってきたものの集大成が火の玉ストレートなんです。

それに、みなさん火の玉ストレートだけを投げていたと思っているかもしれませんが、実際は火の玉ストレートを軸にいろいろな球を使い分けていました。

だからこそ、いろいろな選手に指導ができます。

何を得て、学びとるかは自分次第

インタビュアー:最後にメッセージをお願いします

藤川:自由に話させてもらいましたが、ここから何を学びとるかは自由です。このインタビューから自分なりに何かを得てもらえたらと思います。




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